西浦田楽(国指定重要無形民俗文化財)  
郷土の発展に尽くした人々(山住大膳) 郷土の発展に尽くした人々(斎輔様)  郷土の発展に尽くした人々(湯浅麟三郎


郷土の発展に尽くした人々 (その 二)
 いにしえのころから住み続けてこられたお宅の 古き文書をお借りして
郷土の発展に尽くされた人々を紹介しようと思います。
       薬草の先人        斎輔様 林道「高森山線」

廃校となった元水窪町立大嵐小学校付近から役0.5km北にある林道高森線入り口の時原橋
ここから約1kmほどのところに 時原集落はありました。
むかし、大嵐の時原というところに斎輔という人がいました。
斎輔は患者の自然治癒力を引き出す方法で 草木の根や皮を用いて手当てをし村人を病から救い大変ありがたがれました。

斎輔は 天保元年(1830)父修積、母さと、との間に生まれました。父修積は修積法院と言って神様の心を導き出すほどの修業を積んだ大変偉い人として有名でした。

言い伝えによると、修験道の先達を父に持つ才助は3歳でいろはを覚え、10歳のとき、白倉権現という修験者の道場で、断食の荒行を行いました。
13歳になると周智郡山梨の医師の賢斎という人の門に入って、医学を学び、京都に行ってさらに勉学を深めました。
その後も 長崎にまで行って蘭学を学び 特に薬になる植物や動物を研究する「本草学」には優れた力を持つようになりました。
 (斎輔さまが使ったと思われる薬草)
  オオバコ
斎輔は 再び時原に戻り 人々の病気の治療に当たり多くの人に親しまれ「斎輔様」と呼ばれるようになりました。
交通の不便なこの山奥にあって こんなに優れた才能と行動力を持った人は大変珍しいとみんなに驚かれました。
そして、病気の治療はたいへんよく効くというので近くの人たちだけでなく 遠く三河地方や信州からも訪ねてきて人々から感謝されました。

  シロナンテン
嘉永6年(1853)突然病気にかかり2年後 25歳の若さでこの世を去りました。
斎輔さまがなくなった後にみんなで「斎輔霊神」として社を建てお祭りしました。死後も霊神は 神主たちを通じて「申し降ろし」という 方法で薬の処方や手当てを教示し 多くの患者を救ったと伝えられています。

今でも毎年4月15日には、遠く、愛知県や長野県の人たちまで来て、賑やかにお祭りが行われています。
平成28年は 5月4日 10時30分から行われます。
  カヤの実
 
斎輔さまが使った薬草
シロナンテンの実、カヤの実、ゲンノショウコ、クズの根、オオバコ、ドクダミ、フジの実、センブリ、朝鮮ニンジン、桃の葉、
動物は
マムシの目、蟹、タカの目、鹿のつの、熊の胆(クマノイ)など
  藤   クズ